【言霊ラジオ】#1 『心の世界』~心ってなに?
- 亞空 淺田
- 2 日前
- 読了時間: 6分
心の世界
みなさん はじめまして
ホリスティックセラピスト&ヒーラーの亞空と申します
えー まず私の仕事についてお話します。
私がやっているホリスティックセラピストやヒーラーというのは、まず「ボディケアセラピー」を主体として、ヒーリングをはじめ、アロマやメディカルハーブ、薬膳漢方などの知識をつかって、皆様の日常を豊かなものに出来たら・・・ということでやっております。
そして「ヒーラー」というものについてですが、たぶん私自身が元々「気付く」ということが人より得意であったからなのでしょう。
「気付く」ということは、常日頃から事細かな情報を無意識に探知しているから、ちょっとの変化に「気付く」ということになるのでしょう。
たぶん、子供のころからあった「性質」なのでしょうが、大人になってから仕事としていた「探偵」という職業の影響も大いにあると思います。
仕事の中で人と会話するときに、とても微細な「変化」や「違和感」というものを「察知」します。
ちょっとした「空気」の変化、動きの変化、声の変化、話の流れの変化、そういったものから感情の変化やゆらぎ、心のゆらぎというものを察知しながら会話を進めていきます。
それは、例えば真っ暗なところを手探りで状況を把握しながら進んでゆくような感じです。
そして最終的に目的の場所に辿り着くという・・・・
そんなことを10年以上も続けていましたから、微細な変化と言うものを察知する「気付き」というスキルは自然に上がっていったわけです。
そんな「探偵」と同じように、人の身体を施術するという今の仕事に於いても、その「気付き」のスキルは非常に役立っているわけです。
人の身体に触れて、皮膚の下の見えない身体の状態というものを、指先で微細な違和感や変化に「気付く」わけです。
探偵時代は目や耳や肌感覚などで察知していたものが、指先で察知するようになったという、察知するための「入力部位」が変わっただけでのことです。
微細な違和感や変化に「気付く」というところは探偵時代のままのスキルが継承されているわけです。
そんなふうに施術を続けていましたら、ある時から「人の心の世界」を「観測」するようになりました。
さて、「心」とはいったい何なのでしょう?
おそらく、ほとんどの人が「心」というものについて「わかっているようでわかっていない」ことでしょう。
私自身、わかっていなかったですし・・・・
おそらく、多くの人、いや、ほぼ全ての人と言ってもいいかもしれませんが、「心」というものを「頭」でいろいろ考えていること・・・と思っているでしょう。
確かにそれは間違いではありません。
ですが、それにはちゃんと別の名前が付いています。
「思考」
それは「心」の中の世界にある「思考」という「ひとつの」要素にすぎません。
別の言い方をするなら「思考」することによって「心の世界」に発生する「潜像」・・・・潜る像と書いて「潜像」です。
つまり、思考するという行為によって生まれた「像」という実体のない存在・・・・ということです。
心とは、そういった実体を持たない仮想の虚像のようなものの世界・・・・と言うのがいいでしょう。
ですから頭でいろいろ考えていることも「心」と言えます。
そしてさらに「心」という潜像の世界は、それだけではないということです。
心とは一言で言うと「異次元」というものになります。
ここ、三次元と言われる次元は「実体化」の次元です。
そして、心は「実体化」の無い次元です。
そんな実体化の無い次元に、人が思考して生み出した仮想の虚像も存在しているということです。
ただそれは「思考している」という行為によってエネルギーが与えられて「虚像」という「象形」が発生しますが、思考をやめればエネルギーは無くなり、やがて消えていきます。
それが「心の世界」の「基本構造」です。
そんな世界には人の思考で生まれたもの以外にも様々な「虚像」が存在しています。
人の思考で生まれては消えるものは、全体から見れば小さなものでしょう。
心というものの世界は無限に広がっている世界です。
ですが、人が「観測」できる広さや距離には限りがあります。
その限度は人によって違うものですが・・・・
で、そんな「心」という「潜像世界」には、奥に行けば行くほど様々な「存在」というものが息づいているのです。
それを人は「霊」と言ったり、「妖」と言ったり、「神」と読んだり・・・・
様々な呼び方はありますが、そのような存在が息づいているわけです。
ただ、そのような奥の方まではなかなか観測出来ない。
せいぜい、自分の「思考」というもので生まれた潜像を追えるくらいでしょう。
えーと、つまり、私が「観測」出来るようになったのは、そんな「心」という「潜像世界」の姿なのです。
その潜像世界の「窓」のようなものが、人それぞれの「心」という潜像世界へ繋がる「窓」なわけです。
「心」とはそういうものですから、私の「窓」の先にある世界と、別の人の「窓」の先にある世界は「同じもの」なので、だから「他人様の窓」へと行けてしまう・・・・・
それが、私が「人の心を観測できる」という言葉の意味です。
そんな「窓」には様々な存在が「近づいたり離れたり」といったことが日常茶飯事のように起こっています。
人それぞれ「窓」の近く、周りにいる存在は様々です。
そんな「窓の近く」に居る中で、「守護」と呼ばれる「常に居る」存在もあります。
そして、最初に「思考」によって生み出された「像」もあると言いましたが、その「像」に「親近感」をもつ存在と言うのも「近寄ってきやすい」わけです。
仲間が引き寄せ合うように・・・・といったところでしょうか。
類は友を呼ぶわけですね。
そして、人それぞれの「窓」には、「糸」のようなものが奥の方に伸びているわけです。
その「奥」に行けば行くほどに「次元」というものが上がっていきます。
上がるというのは「より微細に、繊細になってゆく」ということです。
そして、奥に行けば行くほどに、微細で繊細な存在・・・・
「神」と呼ばれる存在に近づいていくわけです。
微細であればあるほど、「何処にでも存在し得る」というものとなります。
たとえば、一升マスに豆を一杯入れるとします。
でもまだ豆と豆の間に隙間があります。
その隙間に今度は米が入ります。
それでもまだ隙間はあります。
次は粟を入れます。
もうほとんど隙間はありませんが、それでもまだ隙間はあります。
そこに「水」ならまだ注げます。
そうしてようやく隙間というもが無くなるでしょう。
微細な存在というのは、そんな水のような「何処にでも入っていける」存在というわけです。
そして、そんな存在の事を人々は「神」というのです。
そんな微細な存在へと繋がっている「糸」があるというわけです。
その糸の先にある存在は、人それぞれ「系統」という系譜があるのですが、突き詰めていけば最終的には皆「一点」に集約されるわけです。
例えば「血統」というものを過去に辿って行けば先祖の何某へと続いて行き、それをらに突き詰めていけば、やはり一点に集約されていくでしょう。
これも「糸」であります。
私はこれを「横糸」と呼んでいます。
そして、「窓」から潜像世界に伸びる糸を「縦糸」と呼んでいます。
心の世界という「潜像世界」を「窓」から眺めているだけでは、奥の方、遠くの方は見えません。
その「窓」を超えて奥の方へ進むことが出来るようになった・・・・・
そして、施術をしている人の「窓」に即座に辿り着ける・・・・
というのが私の「心の世界」へ入り込む能力となります。
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