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【病院神話】~バカの壁の内と外

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私は病院というところへ本当に行かない。


それでも過去三回、救急車に乗っている。


三回とも「事故」である。



病院が要らないと思ったことはない。

三回の事故の時とても助かった。


その中で、三度手術して入院している。


三度の手術のうち二度は「医療ミス」

残りの一度はとても素晴らしい技術を持った先生だった。


「ミス」をしたとはいえ、それでも「何もしないより」は良かったはずだ。


一度目のミスでは「手首」から先を失いかけたが、指半分で済んだ。

「素晴らしい先生」のところへ転院したからだ。


もう一つのミスでは「右足」一本失いかけた。

だが何とか助かった。


ミスによって入院が長引き、その後のリハビリで「伸びない足」を伸ばそうとして、逆に腰を痛めた。



知り合いに紹介してもらった「鍼灸師」のところへ行ってみたら、その日のうちに「伸びない足」が「伸びた」のだった。




昔、風邪で一度病院へ行ったことがある。

風邪ごときで普通なら行かないが、休むために会社というところに「診断書」が必要だったからである。

体調不良で働くより、休んだ方がいいから休むのである。

そんな当たり前のことを実行するために、高い金を払って診断書を貰うために、体調不良の身体で病院へと行く・・・・

なんと無駄なことか。


そして鎮痛解熱の薬を貰って帰る・・・


いや、そんなもん家にあるし。




コロナが始まり、シェディングで体調を崩し始めてから、何度「病院に行って検査してきたら?」という優しくも無意味な言葉を聞いただろうか・・・


「癌が隠れているかもしれないから・・・」

優しい無意味な言葉・・・



あれだけシェディングしていたのだ。

当然「癌」くらい出来ていただろう。

今でも出たり消えたりを繰り返しているだろう。


『だから何だというのだ?』


「死んじゃうかもしれないじゃない!」


『いや、死ねばいいだろう。』


二度ほど『死ぬかもな・・・』と思うほどしんどい時があった。

だが、『生きたい』ともならず『死にたくない』ともならず、さりとて『死にたい』とも思わない。


たぶん「あちらの世界」に関わっているからだろう。

恐怖もなければ不安もない。



「死ぬんじゃないか?」というほどに体調が悪い・・・

そんな時は自然と「食事」は粗食になり、だからやがて自然と回復してゆく。

自分の「身体」の言うことを聞いていれば、それで済む。


自分の身体の言うことを聞かないから「悪くなる」わけで、そんな時は反省して言うことを聞くだけである。



それでもやはり「検査してきたら?」と執拗に言われる。


『シェディングなんだが・・・』


「お医者さんに聞いてみないとわからないでしょう。」


『いや、自分の身体にまず聞けよ』

と言いたいが言わない。


『自分の身体の声も聞けないのに、どうして他人の身体の声が聞けるんだ?』



まがりなりにも「身体を観て癒す」仕事をしているのである。

ならば、自分の身体がどうして悪くなり、どうして良くなってゆくのかということを、ちゃんと「聞き取る」ことが出来なければダメだろう。


それでも「わからない」となったら行くかもしれない。

「難病」と呼ばれるものならお医者さんの領分であるから。



まぁ、言ったところで理解は出来ないだろう。



「医療」は大切なものであるが、しかし「医療」というものに、どうしてそれほど過剰な妄想を抱けるのだろうか?

・・・と思う。


「バカの壁」に閉じこもり、有るものを「無い」ことにしている世界の人々と、日が経つにつれてどんどん乖離していく今日この頃である。






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