【病院神話】~バカの壁の内と外
- 亞空 淺田
- 6月24日
- 読了時間: 3分

私は病院というところへ本当に行かない。
それでも過去三回、救急車に乗っている。
三回とも「事故」である。
病院が要らないと思ったことはない。
三回の事故の時とても助かった。
その中で、三度手術して入院している。
三度の手術のうち二度は「医療ミス」
残りの一度はとても素晴らしい技術を持った先生だった。
「ミス」をしたとはいえ、それでも「何もしないより」は良かったはずだ。
一度目のミスでは「手首」から先を失いかけたが、指半分で済んだ。
「素晴らしい先生」のところへ転院したからだ。
もう一つのミスでは「右足」一本失いかけた。
だが何とか助かった。
ミスによって入院が長引き、その後のリハビリで「伸びない足」を伸ばそうとして、逆に腰を痛めた。
知り合いに紹介してもらった「鍼灸師」のところへ行ってみたら、その日のうちに「伸びない足」が「伸びた」のだった。
昔、風邪で一度病院へ行ったことがある。
風邪ごときで普通なら行かないが、休むために会社というところに「診断書」が必要だったからである。
体調不良で働くより、休んだ方がいいから休むのである。
そんな当たり前のことを実行するために、高い金を払って診断書を貰うために、体調不良の身体で病院へと行く・・・・
なんと無駄なことか。
そして鎮痛解熱の薬を貰って帰る・・・
いや、そんなもん家にあるし。
コロナが始まり、シェディングで体調を崩し始めてから、何度「病院に行って検査してきたら?」という優しくも無意味な言葉を聞いただろうか・・・
「癌が隠れているかもしれないから・・・」
優しい無意味な言葉・・・
あれだけシェディングしていたのだ。
当然「癌」くらい出来ていただろう。
今でも出たり消えたりを繰り返しているだろう。
『だから何だというのだ?』
「死んじゃうかもしれないじゃない!」
『いや、死ねばいいだろう。』
二度ほど『死ぬかもな・・・』と思うほどしんどい時があった。
だが、『生きたい』ともならず『死にたくない』ともならず、さりとて『死にたい』とも思わない。
たぶん「あちらの世界」に関わっているからだろう。
恐怖もなければ不安もない。
「死ぬんじゃないか?」というほどに体調が悪い・・・
そんな時は自然と「食事」は粗食になり、だからやがて自然と回復してゆく。
自分の「身体」の言うことを聞いていれば、それで済む。
自分の身体の言うことを聞かないから「悪くなる」わけで、そんな時は反省して言うことを聞くだけである。
それでもやはり「検査してきたら?」と執拗に言われる。
『シェディングなんだが・・・』
「お医者さんに聞いてみないとわからないでしょう。」
『いや、自分の身体にまず聞けよ』
と言いたいが言わない。
『自分の身体の声も聞けないのに、どうして他人の身体の声が聞けるんだ?』
まがりなりにも「身体を観て癒す」仕事をしているのである。
ならば、自分の身体がどうして悪くなり、どうして良くなってゆくのかということを、ちゃんと「聞き取る」ことが出来なければダメだろう。
それでも「わからない」となったら行くかもしれない。
「難病」と呼ばれるものならお医者さんの領分であるから。
まぁ、言ったところで理解は出来ないだろう。
「医療」は大切なものであるが、しかし「医療」というものに、どうしてそれほど過剰な妄想を抱けるのだろうか?
・・・と思う。
「バカの壁」に閉じこもり、有るものを「無い」ことにしている世界の人々と、日が経つにつれてどんどん乖離していく今日この頃である。
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