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運が良ければ龍は肉眼で確認できるんだよ

更新日:4月7日







5月の始めころになると、家々にはためく「鯉のぼり」の姿がちらほらと垣間見えてくる。


昔はそれを見てもさして感慨は湧かなかったが、今は「はためき泳ぐ鯉」を見ると『龍』の姿を想起する。




昔の人はなぜ「鯉のぼり」というものを作ったのだろうか?そう思って調べてみると、『登竜門』という言葉が出てくる。


滝を登る鯉はやがて成長して「竜」となる・・・というもの。いわば「竜のヒナ」とでも言おうか。


鯉のぼりと一緒に飾られる「五色の錦」は陰陽五行の五行が元であろう。

日本では「キヒツカミ」と言い「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」というキヒツカミの陰陽合わせて十干を言う。


つまりは「五行の巡り」というものを現わしているのが鯉のぼりであるだろう。


午の月(現5月)の初旬(端)で端午の節句(季節の変わり目)に『邪気祓い』として掲げるのが「鯉のぼり」だそうである。




では「邪気」とは何か?


それは『巡りを阻害するもの』であり、五行の巡りが阻害されることによって様々な「悪」が湧く。昔の人はよくわかっていた。



春を迎えて回り始めた自然の「巡り」が滞りなく回るように・・・・

そういう思いを込めてのぼりを掲げて来たのだろう。


「午の月」はちょうど「真ん中」であり一年の「折り返し」へと移行する時期でもある。

そして、午の月を過ぎれば「梅雨」となる。

『今年もたくさん雨を降らせて』という願いもこもっているだろう。


そして梅雨が来る。




夏へ向かう梅雨空は忙しい。

落ち着いた五月雨がしとしとと降り続ける時もあれば、降ったり晴れたり忙しい時もある。

雲が湧いたり消えたり忙しい時、空には風が「何層」にも分かれて吹いている。

雨雲は北へ流れているのに、その更に上にある雲はゆったりと東へ流れていたりする。



そんな空を眺めていると、時折、流れる雨雲の後を追いかけるように「それ」が泳いでいるのが見える。


雨雲の切れ間に太陽の光が差すと、いかにも「鯉のぼり」が「そこ」に在るかの如く「雨雲の水気を含んだ空気が光の屈折」を見せる。

それは「目に見えないがそこにある」何ものかを型取る。



水面すれすれを泳ぐ魚が水面に波を立てるように、水気を含んだ空気の層を泳ぐ「それ」が押しのけた水気に太陽の光が当たり、「それ」の姿を型取っているのがわかる。


「それ」は雨雲を追いかけるように、確かに「泳いで」いる。空にはためく「鯉のぼり」が泳いでいるように。


だが「鯉のぼり」と違うのは、「それ」は明らかな『意思』を持っているのがわかる。

ただ風に流されはためく「のぼり」と違い、魚が進んでは止まり、また進み・・・

という「一定ではない動作」を繰り返しながら「雨雲」を「追っている」のか「押している」のか・・・


そんな『意思』が伝わる。


そして、それは「鯉のぼり」よりも長く、「鯉のぼり」よりも「蛇行」して進む。だが蛇のような「にょろにょろ」というよりも、鯉が泳ぐ「それ」に近いもの。


見上げた空で「それ」を見つけた私は


『あぁ、龍だ』


透明なはずの「それ」は「それ(龍)」以外には見えなかった。





以来、私はよく空を眺めるようになった。


雲一つない空・・・雨雲よりも遥かに高いところで何かが動く。


動いたと思ったら、その「軌跡」を辿るように一筋の「雲」が出来る。その雲はしばらくすると消えてゆく。


『こんな空の日はあんなに高くに居るんだ』


眺めていると、一筋、二筋、三筋・・・・

別々の場所で筋雲が生まれては消える。


『複数で群れているんだな』




目的地へと歩を進めていると、その筋雲が「進む方」へと現れては消え・・・を繰り返す。


「こっちだ」


と言わんばかりに・・・・・・





彼らは空の層の「水気」を含んでいる層にいるんだなと、何度も見ていればわかるようになってくる。


雨の時は「雨雲」の層まで降りてきて、晴れの日は遥か上空の層に居る。または「もっと降りてきて」水のある場所、水気を含む空気がある場所を泳いでいる。


時折、近くに来て立ち止まることもある。そんな時は「強烈なエネルギー」のため「エネルギー当たり」を起こして少しクラクラする。

すごい「圧」である。




魚が水から出ないように「龍」は水気のある空気層から滅多に出ない。


龍が「雨を司る」とされる所以である。昔の人の中に「それ」を知っていた人が確かに居るということだ。




梅雨の時期は空が忙しい。それは「彼ら」が忙しく泳ぎ回っているから・・・


雨雲を「追いかけて」いるのか「押し動かして」いるのか・・・




今年も梅雨はやってくる。空を眺めていたら、運が良ければ空を泳ぐ彼らに出会えるだろう。


自然の「巡り」を支える彼らは、自然の「理(ことわり)」の一部であり、自然の「邪気」を常に祓っている。


「鯉のぼり」を掲げるのはもしかすると「龍を呼んでいる」のかもしれない。


「ここに仲間がいるよ」と・・・・


そして「雨を降らせてくれよ」と・・・・





流れる雨雲の周りで泳ぐ巨大な彼らの泳ぎが見れたら幸いである。







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