ヒーラーとは
- 亞空 淺田
- 3月21日
- 読了時間: 4分
更新日:4月7日

ヒーラーと聞くと「手をかざして癒す」などというものを想像することでしょう。
しかし、それはほんの一つの外形的要素の「見え方」に過ぎないものです。
昔から「手当て」という言葉があるように、「手を当てる」という行為に「癒し」の力があります。
それは「誰にでも」あるものです。
ただ、それが時と場合とタイミングが合致し、手当てする人の心次第で「癒し」の力は大きくもなれば小さくもなる。
また、人によって目には見えないが「纏っている」ものがあります。
『幽体』とも言い『エーテル』とも言われる「その人の霊」の根っこにある「意思」のようなものが具現化したエネルギー体です。
これは「その人の根っこ」が影響します。
心根、性根といった「根」となる部分が具現化しているようなものです。
だから「人それぞれ」となるわけです。
心根、性根の具現である「幽体」とは「無意識」に発動される、発動されているエネルギーです。
ですから、無意識レベルで「癒し」の心根、性根を持っている人の「癒しの力」は当然大きいわけです。
とっさに、自分を差し置いて他者を「癒そう」と行動する人・・・というわけです。
それは同時に、霊体の根っこである『魂の姿』ともいえるものです。
『魂魄』という言葉がありますが、それは霊体の中心である『魂』と、「魂」の外形的表れ『魄(幽体)』という関係になるでしょう。
様々な見解や憶測などで、多くの人が「見方」を間違えており、それを「技術」であると考えてしまいがちです。
それは間違いではありませんが正解でもありません。
根っこに「癒し」の要素が強い人と弱い人では、「技術」そのものも違うのです。
同じ「技術」を訓練しても、芽が出る人と出ない人が現れるのはそのためです。
「根」が違う人が「同じ訓練」で「同じこと」が出来るようになるわけはありません。
「根」の違いは「木」の違いであり「花」の違いであり、同じ育て方で同じ環境で同じように育つはずもないのです。
「同じ」でないものを「同じ」にしようという「見方」で見ていることが、そもそもの間違いであります。
「癒し」と一言で言ってもそれは千差万別です。
人それぞれに合った「癒し方」というものが存在します。
気の癒し
火の癒し
風の癒し
水の癒し
土の癒し
その人その人の「根」が最も得意とする「癒し方」というものがあります。
さらに、自分自身が得意としている「五感」というものもあります。
見ることが得意、聞くことが得意、嗅ぎ分けることが得意、味わうことが得意、触れた感触が得意というふうに、これも同じく「根」が違うわけです。
そして、自分の「根」を最大限に生かす「技術」も違って当然です。
だから、同じ「技術」を教わったとしても、たまたまその技術に合った「根」を持っている人が「癒し」の能力を伸ばしている・・・・ということになります。
そして、その「技術」が合わなかった「それ以外の人」は「挫折」することでしょう。
実は「教える」方の人の方もよくわかっていなかったりするからです。
たまたまそんな力を得た・・・・
それをそのまま、わからないまま進めれば、「わからない」が連鎖していくだけです。
私自身も、最初のころは当然「わからない」という状況でした。
その「わからない」を突き詰めて解き明かすのは難しいものです。
なにせ「教えてくれる」人が居ないわけですから・・・・
ですが、根気よく精査して、在るものは在る、無いものは無いと「ありのまま」を受け止め、何より「わからないまま」にしようとする自分を戒め、一つ一つ「事実」と「実績」と「経験」を積み上げれば「わからない」は一つ一つ消えていきます。
『覚醒』とは「赤ん坊がオギャーと生まれる」のと同じことであり、生まれたばかりの赤ん坊が「何も知らない」「何もできない」のと同じです。
それが「独り立ち」できるまでに至る過程を見れば、『覚醒』というものがどんなもので、その後「何をすべきか」ということがわかるというもの。
『出来ることからひとつずつ積み上げていく』
だけです。
そして、それを行った人だけが「わからない」という「赤子」の状態から独り立ちできるまでに成長できるのです。
また、「わからない」ために普段自分の周りでせっかく「癒し」を与えてくれている人を蔑ろにしていたり、「奪う」人を「癒し」であると勘違いしていたりします。
それは「癒し」そのものが「わからない」ために起こることでしょう。
そして、わからないために「癒している」つもりで「奪う」ことをしていたり、「癒している」のに自分を卑下していたり・・・・・
悲しいことですね。
「癒し」である「ヒーリング」そして「ヒーラー」として最も大切なことは「知る」ということです。
自分を知り、相手を知り、手段を知り、目的を知り、道を知る。
自分の「根」を知ることで、自分の「得意」を知り、得意を「中心」にして他のそれぞれを追随させるように伸ばしてゆく。
得意なものほど「伸びる」のですから。
そして、「何が出来るか」を知り、そのための「手段」を知って伸ばし、伸ばしながら「目的」を定めて登ってゆく・・・・・
それが「ヒーラー」というものです。
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